夢と希望  中国禅宗の歴史

   夢と希望  中国禅宗の歴史

サトレタ人としての感覚が見つけた中国禅宗の歴史です。

大乗の世界で花開いた中国禅

参考文献: 新アジア仏教史 07 中国Ⅱ 髄唐 興隆・発展する仏教

 

 第1項    中国禅宗の系譜(七祖まで)

   菩提達磨―二祖慧可―三祖僧(そうさん)―四祖道心

     ―五祖弘忍(ぐにん/ こうにん)―六祖神秀―七祖普寂

 

  四祖道心と 五祖弘忍は協力して山に入りたくさんの修行者ともに修行する「東山法門」を築いた。このことで多くの優秀な人材を輩出することになった。認められて 六祖神秀となった神秀は都に出て多くの門人を育てた。そして七祖普寂もまた多くの修行者を集めて活躍していた。

神秀は直接会った時の皇帝から「中国の仏教では 、三蔵法師玄奘と神秀の二人は賞賛さるべきであろう」と言われたということです。抜きんでた人だったのでしょう。

 一方、恵能は南の方で活躍していて(南州)とされていた。

 このような時代は中国禅宗がもっとも盛んだったころです。

 

禅宗のとっての大悪人・荷沢神会登場・・・神秀や恵能がなくなった後

  六祖壇経の罪・・恵能を六祖にしています。

 神会は七祖・普寂らに集まる修行者たちを呼び込むべく、六祖壇経という本を作り自分たちの理論の確立に使った。修行者を集めるべく北宗批判を繰り返し、宗教者らしくない過酷さに政府からは通行手形をとり上げられ、活動禁止の処分を受けた。たまたま安史の乱がおこり、神会はため込んでいたたくさんの金を出しました。これを軍資金にして政府は乱を」収めることができ、貢献に免じて活動を赦したようです。しかしその後の活動期間は短かったようです。彼の荷沢宗は消滅したのです。

 神会の死後、六祖壇経があちこちから出てきました。それを読んだ人は坐禅とは簡単なものだ。頓悟出来てと。多くの坐禅修行者を惑わせることになりました。日本でも現在語訳が出ていますが百害あって一利なし。悪書です。鎌倉時代道元禅師は偽書であると言ったそうです。サトッタ者ならわかるひどい本です。

 恵能の流れで臨済宗も生まれましたが六祖壇経の被害も受けたようです。恵能の流れで中国曹洞宗も生まれて、如浄禅師の指導を受けて道元は「心身脱落」の印可証明をもらって帰国しました。

 臨済宗系では栄西、覚心は印可証明をもらって帰国しました。