サトッタ者としてほかの人とが気付いていないことを書きました

 第1項   ブッダの覚りについて・・・わたしのサトリと同じ神秘体験が基本。

 

  参考文献:1)人間ブッダ      田上太秀著  第三文明社 レグルス文庫

       2)この人を見よ―ブッダ・ゴータマの生涯 

                ブッダの弟子たち    増谷文雄著 佼成出版社

       3)阿含経による仏教の根本聖典      増谷文雄著  大蔵出版

 ※ サトリの第一段階は上記の「無所有処」の境地と推定させていただきます。

    シャカのサンガでも、その仙人の境地と瞑想法、もう一人の仙人の瞑想法も、

    ともに大切にされていたそうです。

 

 サトリの第2段階「明けの明星」)は参考文献:1)人間ブッダの37ぺ―ジにあります。

 「いよいよ修行が成就する日が近づきました。35歳のとき、ある朝、明けの明星の輝きに感応して、ホウセンカの種子がはじけるように、眠りから覚めるように、朝もやが消えるように、釈尊の心は晴れ渡りました。」

 ※ 学者さんらしく、ていないな説明が加えられています。無用です。正しくは、

   まぶたの裏に金色に輝く巨大な星が見えるだけです。特殊な幻覚だといってよい

   でしょう。

 参考文献:2)「この人を見よ」にはには47ページにあります。

  「まだあけやらぬ空に明けの明星がきらめいた時、彼はついに、大いなる決定的瞬

  間を迎えることができた。それをのちの仏教学者たちは、「正覚(しょうがく)」

  とよび、あるいは「さとり」といい、もっと厳(いかめ)しくは「大覚成就」とい

  う。

 ※ 著者はパーリ語から和訳できる学者さんですが、やはり神秘体験の実際から離れ

   ています。

  サトリの第三段階・解脱と第五段階・涅槃については。

   参考文献:3) 阿含経による仏教の根本聖典の16ページより引用します。

 解脱のあとシャカは

「比丘たちよ、わたしはさらに無上安穏の境地の涅槃(ねはん)を求めて、マガダ国を遊行し、ウルヴェーラー村に到った。そこでわたしは、愛すべき土地を見出した。清適なる林があり、清澄なる水があり、川の堤はうるわしく、附近の村は豊かであった。――この土地やよろし、叢林(そうりん)はすずしく、清流は岸にみちている。わたしはいま、この地で修行しよう――わたしはそう思って、一本の菩提樹の下にいたり、吉祥草(きちじょうそう)を布(し)き、その上に座具を敷いて、煩悩尽きるに至らずんば、断じてこの座を解かじと念じて、修行の坐についた。

 こうして、わたしは、生もなく、病もなく、老もなく、死もなく、愁いもなく、けがれもない、無上安穏の涅槃を求めて、ついにこれを得ることができた。その時、わたしに一つの智見が生まれた。

――わたしの解脱はもはや不動である。迷いの人生は尽きた。清浄なる修行はすでに確立した。作(な)すべきことはすでに作なしおわった。もはや、ふたたび迷妄の人生を受けることはない――

と。」

 2500年前。そのころの日本はどのようだったのか??

  インドの発展はたいへんなものでした。

   そして精神世界についても、大先輩でした。そして、日本人の多くはいまだに

   シャカの原始仏法に気づいていません。この本で刺激が与えられたらと期待して

   います。

 

 わたしは涅槃の体験をした時は全く予想もしませんでした。シャカの場合涅槃の

  近づきを予感していたようです。または、サンガの人たちに対する、気合をいれて

  修行することの大切さの指導だったのでしょう。

   また、その地の生活環境のすばらしさを詳細に観察されています。出家修行者の

  生活のたいへんさを感じ取ることができます。その土地で食べる物の供養を期待で

  きるかどうかは大問題です。

 

 これについて、サトッタ人としての意見があります。わたしの場合。解脱から涅槃

  まで8年余り長期間要したこともあり。それだけ脳の変化に時間がかかったのだと

  も考えています。

  解脱の段階ではなく、涅槃という新しい段階、五段階目にはいったと考えたいので

  す。

 

 わたしの集トレは、自分の部屋で、ひとりでするのが特徴です。その方法でもサト

  レました。

   シャカのサンガで最も深いサトリとされていた涅槃も体験しました。自由気まま

  に集トレで体験

   できたのです。シャカのサンガの人たちは、いろいろなシバリの中で修行されて

  いた事を尊敬

   します。しかし、決してマネはしたくありません。すみません。偉大な先人・お

  釈迦様。

 

 重ね重ねになりますが、簡単に2500年前の原始仏法について書いてみます。原始仏法とは崇拝するべき神もなく、信仰する仏もなく(シャカがなくなってずっと後の上座部仏教ではシャカを仏としました)。ただただ覚れる方法を実践し、覚りを追求する出家修行者たちがサンガを形成していました。

 以下の記事の参考文献は「人間ブッダ」です。

 修行者の数は2000名を超えることはなかったようだ。編纂されて伝えらている『テーラーガーター』『テ―リーガーター』にはアラカンといわれる男性264名、女性73名。

 ※ これは大変な人数です。約6人にひとりはアラカンだったようです。

   わたしはシャカがサンガ形成に動き出した経緯から、「明けの明星」が判定基準

   だったと考えます。

   日本では大乗仏教始まって以来多い目に見積もっても判定基準を満たしている

   人は数十人ほどだと考えています。

   原始仏法と大乗仏教の修行の違いは大きいのですが・・・。