経営の神様・松下幸之助・・・その人も下で働きたい経営者だそうです

・    経営の神様・松下幸之助(1894~1989)

       略歴

 和歌山市禰宜に生まれました。4歳のころ父親が米相場で失敗し、和歌山市本町に引っ越しました。腹が減っていない時はなかったというほど、貧乏生活を経験しました。尋常小学校4年で中退して大阪市船場に丁稚奉公に出ました。ここでいろいろ経験し、経営の基礎を学びました。

 明治43年(1910年)大阪市に市電が開通しました。これを見て幸之助はこれからは電気の時代だと感じ取り、大阪電灯に配線工として就職しました。この仕事も熱心さと頭のよさで早くマスターして最年少の現場監督となりました。配線工のときと違って時間ができて電気器具のアイデアをえました。大正6年(1917年)手元資金わずかに95円で独立。夫婦で生活していたせまい借家に工場スペースを作り、妻、妻の弟二人などと「二股ソケットの試作」を始めました。はじめはなかなかうまく行かず、困難を極めましたが、これの商品化に成功するや、どんどん売れ、資金もうまく回り始めました。次に「アタッチン」(ソケットに差し込みプラグをつなげる器具)の商品化にも成功しました。売り上げもどんどん増えました。

 大正7年(1918年)、電気器具製造販売に着手するために「 松下電気器具製作所」を創業しました。幸之助自身が開発した商品が100以上あり、発明家でした。また営業に出た若い人が「お前とこは何を作っているのかと聞かれました」と言うので、幸之助は「人づくりのついでに電気器具を作っています」というように指導しました。人の話を聞く耳を持った経営者でもあり、店員教育にも素晴らしい才能を発揮し、株式会社になってからも社員教育にも熱心に取り組みました。

 幸之助は戦後昭和22年(1947年)PHP研究所を創立。昭和36年(1961年)松下電器産業の社長を退任、会長に就任してPHP研究所を創業。たくさんの本を出版するようになりました。これを見た経営者仲間は松下幸之助は本を売りながらじょうずに社員教育をしていると評したそうです。

 幸之助は昭和36年(1961年)優秀な政治家や経営者を育てるべく松下政経塾を創立しました。

 

 ここからはわたしのサトリの感覚で見つけた松下幸之助の一面を紹介します。

  ― 大経営者がサトッタことでさらに急成長しました

 幸之助は「一遍の悟りを開いた」=サトラれたのは第2次大戦のころです。

  参考文献:私の生き方考え方 松下幸之助著 PHP 29ページ参照

 敗戦後、松下電気産業株式会社はその規模の大きさからGHQ(連合国最高司令官総司令部)から財閥指定され、経営者・松下幸之助は社長業を禁止されました。GHQへの働きかけて規制が解除されるとともに、幸之助は欧米視察旅行を5回もしました。日本国民が一億一心で懸命に戦っても負けた相手国を見に行かれたのだと思います。連合国とはどのような国々かと。そして会社経営上の成果がいろいろありました。それは別としてサトリについて。

        素直な心

 わたしは「昭和23年ごろから『素直な心』という言葉を使って話をされ、また文章も書かれ始めた」。ということに関心があります。

 (参考文献:松下幸之助成功の軌跡 佐藤悌二郎著 PHP  P369参照)

 「一遍の悟り」の効果の素晴らしさに驚いて、一遍の悟りについて考えをまとめられて「素直な心』という言葉に表されと思われます。

 その頃には禅宗本山・大徳寺の師家・立花大亀さんと交流されていて二人で考えてサトッタ人の心を素直な心と決めたのだと思われます。

 この素直な心というのは難解な言葉ではあります。

 松下幸之助の説明。「素直な心」とは「なんでもハイハイと聞く従順な心ではなく、言いつけた人が間違っている場合は自分の意見を言うということが大切です」という説明がつくのです。

 これは松下幸之助のような人が上司であればできるでしょうが、普通はなかなかできないことです。皆様いかがですか。

         「素直な心になるために」

 文章を書き、話しなどを始められてから、30年ほどして「素直な心になるために」という本を、PHPから出版しました。

 

 松下政経塾では塾生たちに、幸之助は「素直な心になれますように」という言葉をキーワードにして瞑想していると語っていたようです。

  (参考文献:松下幸之助翁82の教え 小田全宏著 小学館  より)

松下幸之助の大切な思いだったと思います。サトレばシャカのみならず誰でもがサトリの効果やサトレタ方法を伝えたいという強い思いを持つものです。

 ※わたしも柄にもなく商業出版に挑戦中です。なんと2004年以来。何度も失敗しながらも諦めるに諦められないのです。出版に成功した人たちとは頭の出来(IQ)が違うのだと思い知らされている現在です。

 

      中博氏との偶然の出会い

 さて、わたしがボランティアとして、掃除と語り部をしていた松下幸之助生誕の地へ中博氏(中塾経営)が偶然来てくれました。中氏は松下幸之助晩年の20年間、直属の部下として働いた人です。いろいろお聞きできました。わたしとして、最も興味あることを書いてみます。

       わたし                    中博氏

 「松下幸之助氏は悟った人ですよね」       「そうです」

 「悟られた方法が分からないんです」        「 坐禅です」(※

 「なぜそのように書いてくれなかったのでしょう」 「大会社の社長として一宗一派        

                          に偏れなかったのです」                     

 幸之助さんが坐禅していたのか。それなら寺や坐禅道場へ行こう。それはやめて下

  さい。サトレル坐禅を指導できる人はめったにいません。ほとんどいないといって

  よいでしょう。