日本仏教界のスーパースター弘法大師空海

   日本人で最初に神秘体験しました

  日本仏教界のスーパースター空海

       空海の神秘体験

 空海は、まだ僧名もない18歳から20歳まで虚空蔵菩薩求聞持聡明法の行(ぎょう)を行います。

 吉野の葛城山から山脈を西へと向かいました。これは役(えんの)行者が和歌山の加太から東に向かい法華経23巻を埋めた山脈を反対方向へ向かったことになります。役行者空海にとって100年ほど先輩の仏教者で当時超有名人でした。

 空海は和歌山にいたり、四国にわたり、なおも虚空蔵菩薩求聞持聡明法の修行をしながら、山での行を続けました。

 最初の神秘体験

 太龍岳(たいりゅうだけ)で「谷響(たにひびき)惜しまず」というように書き残しています。

 谷の斜面をよじ登っていると、足元の石が転がり落ちて、いつもと違って、大きな音がしたというのです。

 「サトリの第一段階」の聴覚が鋭敏になることを表現しています。じつは眼、耳、鼻、舌、身、意すべてサトリの影響を受けます。空海の場合、山での修行で人に会うことも少なかったでしょうから、そのようなことは気づかなかったかもしれません。

 次の神秘体験。行を始めて1年余りで、20歳のとき、 太龍岳より南に下った室戸岬の洞窟で『暁の明星』を見ました。

 これは釈迦が見た「明けの明星」と同じ神秘体験です。空海は大変詳しく書き残されています。

A。「天空より宝剣が舞い落ち、眼前の地面に突き刺さった」。

 もし自分の頭の上に落ちたら体は真っ二つ。

 大変な恐怖、「恐怖体験」をそのように表現されたのです。

 禅宗のほうには「100尺竿頭なお歩を進む」という公案があります。30メートルもある竿の上に立って、なお歩を進めよ。というのです。禅宗の禅師の「恐怖体験」の表現です。

それがすむと、いよいよ「暁の明星」です。

B。「東の空より、暁の明星があらわれて、遊来し、口に飛び込んで、胸にいたり、光を発す。

  光を発してあたり一面が明かるくなる。これが夜明けのことです。だから暁の明星となります。