鎌倉時代の曹洞宗の偉大な人たち 道元 瑩山
日本曹洞宗
・ 道元 鎌倉時代の禅師。曹洞宗の初祖・開祖・道元である。
神秘体験は「身心脱落」。
永平寺を創建。
それまで修行していた比叡山を出て、中国に渡り、運よく中国曹洞宗の天童山如浄に出会いました。道元によると当時の禅宗は『六祖壇経』の影響で自論を喧伝する論客が多い中で、如浄は「身心脱落」、「只管打坐(しかんたざ)」と言いながら坐禅に徹することを指導しました。道元は熱心な坐禅で、「身心脱落」と奏上して、如浄に認められて印可証明を受けました。その大きな紙一枚と自分の体一つで帰ってきました。帰国後少しの変遷があったものの、日本曹洞宗を立ち上げました。道元の永平寺における指導は厳しいものであったが、悟った人を生み出せていない。永平寺は曹洞宗では修行専門道場と位置付けられているようです。
参考文献:喰う、寝る、座る 永平寺参禅修行 野々村薫著 新潮文庫
(著者記。一年間修行しても何も変わっていない)
…が参考になるかもしれません。
また、アマゾンプライム会員であれば「禅」で道元禅師の活躍ぶりが見れます。
・ 瑩山 鎌倉時代の禅師。曹洞宗の四祖・本祖・瑩山である。
神秘体験は「只管打坐」。
密教を学んだあと、はいった永平寺で曹洞宗三祖のゆるやかな導きで、和歌山県・由良・興国寺で一年間、臨済宗の公案禅の修行をした。公案禅のその成果ともいえるものを「坐禅用心記」(瑩山著)に見ることができます。瑩山は自分の弟子を興国寺に送り修行させています。
[ 訳 ] なお、心が散乱しておさまらないときは、一つの公案をとり上げて参究し、こころが散乱しないようにせよ。
たとえば、「なにものがこのようにやってきたのか」という公案、「犬には仏性がない」という公案、「雲門の須弥山」という公案、「趙州の拍樹子」という公案などである。
これらの公案は分別し思量するこころによってはあじわうことの出来ない話であって、心の散乱に対応するには、もっとも適している。
※ わたしにわかるのは「犬には仏性がない」だけです。いわゆる「無字の公案」
と言われる公案です。
中国にカタカナがないので、漢字で表音します。
それで、無を「ム」と理解して、利用して、大いに役に立ちました。
※ わたしの場合。身心脱落のあと2か月後に只管打坐を体験しました。
集中力の差というより、いつも通りの食事をし、自分の部屋でやりたいような
集トレができたからだと考えています。
禅宗本山での修行は早朝に始まり、夜更けまでするようですから。
「喰う、寝る、座る 永平寺参禅修行」にあるとおりです。